2009年

ーー−4/7−ーー 敗退の山スキー

 
先週の土曜日、千葉から来た友人二人と山スキーに行った。場所は、栂池高原から白馬乗鞍岳の往復。お手軽な人気コースである。私は15年前のやはり4月に行ったことがある。その時の経験から、さしたる困難は予想されなかった。

 前の晩に泊まった客人と自宅を出たのが朝6時。スキー場のゴンドラが混み合う前に着こうという算段。前の日は終日快晴だったが、この日は下り坂の気配だった。

 栂池スキー場を目前にして、私が登山靴を忘れてきたことに気がついた。その瞬間、私は顔から火が出る思いだった。友人の車に荷物を積む時に忘れたのだ。靴が無くては登れない。仕方なく、1時間の道のりを引き返してもらった。公共交通機関で山に行く場合は、登山靴を履いて家を出る。だから忘れることは無い。自家用車の場合は、要注意である。車を運転した友人は、「以前にもこんな事が有ったな」とつぶやいた。

 2時間のロスの後、スキー場に着くと、無料駐車場は満車だった。やむなく有料の場所に停めた。ゴンドラ乗り場は、もはや混んではいなかった。ゴンドラとロープウエイを乗り継ぐ券を買ったら、登山届けを要求された。一般スキーヤーと、山スキーヤーを振り分ける意図のようだった。全体的に安全に対する姿勢が厳しかったのは、昨年起きた事故のせいか。

 15年前に来たときは、ロープウエイが無く、ゴンドラの終点の先から登り始めた。今はロープウエイがあるから、さらにラクになった。ラクになったためか、バックカントリー・スキーが流行っているためか、蟻の行列のようにして斜面を登る、大勢のスキーヤーが見えた。

 1時間と少しで天狗原に着いた。その頃になると、風が強くなり、パラパラと雪が降ってきた。視界も悪くなってきた。上部の乗鞍岳の斜面には、行列ができていたが、それもじきに見えなくなると思われた。予定を短縮して、そこから滑り降りることにした。

 登りの時に雪面を見て感じた悪い予感が的中した。雪の状態は悪く、私の装備と技術では太刀打ちできなかった。

 登山靴にスキーを付けて滑った事がある人は、登山経験者にも、スキーヤーにも、ほとんどいないだろう。その困難さは、やってみなければ分からないが、やればすぐに理解できるほど、明白なものである。私は過去、何度もそのようなスキーをやったが、ほとんどは4月中旬からゴールデンウイークにかけての時期であった。その時期になると、雪が締まり、表面はザラメ状になることが多い。そのようなコンディションなら、私の技術でもなんとか滑ることができる。

 今回は、数日前に1.5メートルほどの雪が降ったということで、スキーが少しもぐるくらいの重い雪質だった。しかも、スキーヤーのおびただしい数のシュプールで、雪面が荒れている。この状況では、登山靴スキーで、荷物を背負って滑るのは至難の技だ。友人二人は、スキー靴を履いていて、技術もあるから、スルスルと下っていく。私一人、転んだり起きたりを繰り返す。遅々として進まず、完全なブレーキとなった。2時間かけて取りに戻った登山靴は、今度は大変な試練を私にもたらした。

 私だけなら、このもたもたスキーを続けたかも知れない。時間はまだあった。しかし、友人を長いこと待たせるのは申し訳ない。私の変な行為に付き合わせては気の毒だ。それに、あまりにもぶざまな格好を曝すのは、友人の手前辛いものがあった。そこでスキーを外して、歩いて降りることにした。その方がずっと速い。友人に掛ける迷惑を、大幅に減らすことができる。

 ロープウエイの終点に着いた。完全に戦意を喪失した私は、もはや滑ることは頭に無かった。ゲレンデの凹凸の斜面も、登山靴スキーの敵である。空身ならまだしも、ちょっとした重さのザックを背負っている身では、やはりとめどなく転倒するだろう。私はあっさりと、文明の利器を使って下山することを決めた。

 ロープウエイとゴンドラを乗り継いで下界に降りると、友人たちが待っていた。「やはりスキーは速いね」と照れ隠しのようなおべんちゃらを言ったら、友人は無言だった。

 私が原因で、友人たちにはいろいろ不快な思いをさせた一日だった。逆に友人は、ほとんどスキーを楽しめなかった私に同情したかも知れない。しかし私としては、登山靴を忘れたミスは別として、山スキーの方は、仕方が無いことだと割り切っていた。

 自然を相手にする行為には、「上手く行って当たり前」は無い。こちらの思う通りには、なかなか進まないものだ。だからこそ面白いとも言える。予定通りに終わらなかったり、惨めな結果になったりしたことで、苛つくくらいなら、始めからやらない方が良い。自らの限界を察知して、いさぎよく身を引く。そういう自由を感じることも大切だ。それができるから、遊びなのだ。

 ゴンドラのキャビンの中には私一人だった。湯気でくもったガラスの向こうの雪景色を見ながら、しずしずと下って行った。もう雪が消えて、地面が見えている林があった。勢い良く水が流れている小川もあった。人里が次第に近づいてきた。私は妙に落ち着いた、穏やかな心境だった。そして白銀のシーズンの終りを目前にし、少し感傷的な気持ちに浸っていた。これはけっして負け惜しみではない。




ーー−4/14−ーー 娘の学生寮の出来事

 次女が大学生になって、家を出て行った。これで、20年前に引っ越してきたときは7人だった家の中に、家内と私の二人だけが残された。

 先日、顔を合わせたご近所の婦人は、「大竹さんのうちも、二人だけになってしまったね。新婚の頃に逆戻りだね。でも、みんないつかはこうなるんだよ」と言った。たしかに、夫婦ふたりきりで暮らすのは、新婚以来のこと。その新婚生活も、1年足らずで長女が生まれたから、二人だけの生活は長くなかった。これから先の生活は、未知の領域と言える。

 次女は学生寮に入った。上の二人も、それぞれの大学の学生寮にお世話になった。我が家のように、生活にゆとりが無い家庭にとっては、寮制度は有り難い。しかし今どき、寮に入るというのは、いささか変わったことのように見られるらしい。娘が高校の友人に寮の話をしたら、そんな所に入るのは特別の人種であるかのように、驚ろいた様子だったとか。

 寮といえば、長女が入学したてのときに、ギョッとする出来事があった。

 ある日私がいつも通り工房で仕事をしていると、電話が鳴った。相手は若い男の声だったが、何だか物言いがはっきりしない。「学生寮の者ですが、○○子さんのお父様ですか」と聞いてきた。どうも様子がおかしい。続けて、「寮の新人歓迎の行事で、○○子さんが事故に合いまして・・・」ときた。電話の後ろはざわついていて、ピーポ、ピーポと救急車のサイレンが鳴っている。病院の公衆電話から掛けているようだった。これには私もギョッとした。次の言葉で何が伝えられるのだろう?全身に戦慄が走り、心臓が突然高鳴った。

 新人歓迎の行事で、車で行楽に行った。車が事故に合った。○○子さんもそれに巻き込まれて、病院へ運んだものの、お気の毒ですが・・・、というストーリーが、一瞬のうちに頭に浮かんだ。

 私は、聞きたくない事を聞かねばならない苦痛に打ちのめられそうになりながら、説明を求めた。すると話はこうだった。

 女子寮と男子寮の合同で、新入生歓迎のソフトボール大会を開催した。娘もそれに参加した。ポジションはピッチャーだった。ほとんど野球を知らない女子は、ピッチャーをやらされることが多いらしい。娘はバッターの打球を顔面にくらい、倒れて失神した。それで、近くの病院へ運ばれた。医師の診断では、脳などに問題は無いとのことだったが、鼻の骨が折れているので手術が必要だと言われた。

 私は気が抜けて、その場に座り込みそうになった。事故に合ったのは不運だし、傷は痛いだろうから、娘は気の毒だ。しかし、一瞬最悪の事態が頭に浮かんだ後だったので、その程度の事で済んで、本当に有り難かった。私は電話をくれた学生に、知らせてくれた礼を述べた。ただし、次に試合をやるときは、別のポジションにして欲しいと言った。

 その後病院から電話があった。娘は未成年だったので、手術には保護者の同意が要るという話だった。医師が娘にそのことを告げ、親は来るだろうかと聞くと、娘は「この程度のことで親は来ないと思う」と答えたとか。

 それでも家内は、娘の容体を案じて、一人列車に乗って出掛けて行った。夜になって戻った家内は、手術のときに娘が痛がっていたのが可哀そうだったと、涙をポロポロとながした。その様子がまた、哀れだった。




ーー−4/21−ーー SSアームチェアー

 新しい椅子ができた。と言っても、全く新しいわけではない。SSチェアと名付けられた従来の椅子に、アームを取り付けたのである。

 SSチェアのコンセプトは、アームチェア93(AC93)の兄弟分で、アーム無しという事だった。AC93は、間口が大きく、かなり大ぶりな椅子である。それはそれで使い心地が良く、愛用者も多いのだが、人によっては大き過ぎる事を理由に避けられた。アームチェアは、構造上大きめな椅子となる傾向がある。その上さらに間口を大きくしてあるAC93は、狭い居住スペースでは場所を取るという問題があった。そのAC93のアームを取り去り、間口を狭めて一般的なサイズのダイニング・チェアにしたものが、SSチェアであった。

 SSチェアの脚部は、AC93と類似した構造になっている。それで、外見的に似たような印象を与える。特徴は、垂直な円柱脚である。その垂直脚のために、AC93には無かった問題が、SSチェアを開発する時に生じた。それは背板である。

 AC93では、背板はアームと一体化している。そのアームを取り除くと、背板の居場所が無くなってしまう。アームの助けを借りずに背板を取り付けるにはどうしたら良いか。また、垂直な脚に背板を付ける場合、どのようにして背板の傾きを付ければ良いか。そこで、SSチェアの、あの独特な形状の背板が考案された。

 後脚の垂直な円柱を延長させたような形で背板が始まり、次第に後ろへ傾いていき、背板のカーブが最も深いところでは75度となる。つまり、垂直から75度まで変化する捻じれた形、三次元的な曲面になっている。この形を厚さ90ミリの板からいきなり切り出して作るのは、ちょっと難しい。そこで三段重ねの構造にした。段重ねの背板を、後脚の先端が串刺しにして貫いている。他に類例を見ない構造である。

 SSチェアの説明が長くなったが、SSチェアにアームを付けるという発想は、当初全く無かった。AC93からアームを取ったらどうなるか、というストーリーで生み出された椅子だから、それは当然だといえる。

 今年になって、ある時ふと、アームを取り付けることが頭に浮かんだ。串刺しの構造をそのままアームの接続部にも応用したら、さらに面白い形になるだろう。その試行は、ちょっとワクワクするほどだった。

 試作品が出来上がると、座り心地は良かった。その点では、一発で決まった。しかし見た目の点では、アームと全体との調和が取れていないように感じた。背板回りの特異な形状が、強い個性を発揮しているので、アームの存在感が薄かったのである。

 その解決策が、また突然頭に浮かんだ。マッシュルームである。マッシュルームというのは、アームの先端に取り付けられた円形の凸のことで、シェーカー・スタイルのアームチェアにはしばしば使われていたもの。これを付けたことにより、アームはワンポイントを得て、良い納まりになった。唐突とも言える凸は、背板の上に飛び出た突起と良い調和になっている。そしてこのマッシュルーム、手の平を置いたときに、えもいわれぬ感触を与える。視覚的にも、触感的にも、面白い効果となった。

 名前は「SSアームチェア」とした。SSチェアにアームを付けたからということで、ちょっと安直な気もするが、分かり易いネーミングではある。

 この椅子、下半身はSSチェアと全く同じである。その前脚を延長して、アームの先端を支えている。元々アーム無しの前提で前脚の位置を決めてあったから、大柄な私としてはちょっと間口が狭いように感じた。家内に感想を求めたら、これで良いと言う。彼女は体が小さいからなのだろう。間口が狭い方が、コンパクトで使いやすいとも言った。

 もう少し間口を広げたものも作ってみようと思う。ユーザーの好みで選べるように、2タイプを準備しておくのも良いだろう。それが終わったら、次はクッション座版の製作である。これも楽しみだ。



ーー−4/28−ーー 栃の王国見学会


 先週末、福島県大沼郡三島町の山の中で、「栃の王国見学会」なるものがあった。松本の知人に誘われて、長野道、北陸道、磐越道を経由して出掛けて行った。

 これは地元有志が主催する、自然体験型のイベントである。一般参加者に地元スタッフが付き添い、約30名が山の中に入る。栃の大木がまとまって生えている森まで、1時間ほど山道を登る。あいにく小雨模様の天気だったが、山に入ると気持ちが良い。夏には藪が密生して近寄れない場所も、この時期なら昨秋の落ち葉を踏んで歩み入ることができる。木々の梢には新緑が芽生え、林床には山菜が茂っていた。

 栃の大木は十本ほど見ることができた。遠くからはさほどに見えない木も、近くに寄れば二抱えを越す大木であった。根元から見上げれば、四方に伸びた枝が、視界からはみ出すくらいに張っている。そのダイナミックな造形は、見ていて飽きることがない。

 地面に折り重なる落ち葉の中には、無数の栃の実の殻が有った。栃の実は、硬い殻の中に入っている。その殻が三つに割れると、中から子供のおかっぱ頭のような模様の実が現れる。殻だけが残っているのは、クマが実を食べたからであろう。あるいは地元の人が実を拾い集めたのかも知れない。栃の実は、栃餅などにして食べることができる。貴重な山の幸である。栃の森では、クマと人間が食べ物を奪い合うのである。

 地面に目を凝らすと、稀に実を発見することがある。クマと人間の目を逃れた実である。それらは、朽ちはてようとしているものが多いが、中には芽を出しているものがある。芽のように見えものは、実は根である。硬い殻を突き破って出た根が、くるりと反転して地面を突き刺し、地中に入っていく。栃の大木の下を探しても、根を出した実が見つかる確率は低い。巨木といえども、子孫を残すのは大変なのである。

 イベントの日を挟んで二晩、地元のお宅に宿を借りた。戸数27件ほどの山村の集落である。住民の高齢化が進み、既に廃屋となっている家もあった。ご厄介になったお宅も、お婆さんの一人住まいであった。「山のものすかねくて、もうすわけね」などと言いながら、採れたての山菜の天ぷらなどを出してくれた。素朴な人情があふれるおもてなしに触れて、心が和んだ。








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